埼玉デトックス道場の導引とは

導引法 (埼玉デトックス道場の導引)

この「導引」という言葉は、あまり聞いたことのない言葉であるし、実際にはどんなものであるのか知っている人も少ない。

導引とは、中国四千年の歴史に生きている自然健康法である。

中国湖南省 長砂にて、今から二千百年ほど前に埋葬されたと言われる馬王堆王妃は、
日中国交回復以前の昭和四十五年に発見された当初、その遺体解剖の結果、死ぬ幾日か前に食べたと思われるメロンの種が、胃の中にあったと言う。

そしてその肉体は、死後一週間くらいしか経ってない筋肉の状態で発掘され、その寝棺の中には、
数々の文物と一緒に、導引の手引書である二十四枚の「帛書」が発見された。

要するに、この導引や気功は、人間が生きるために必要な「生活の知恵」として、古くから人々に親しまれ、正しく受け継がれてきた、素晴らしい健康法である。

そして、その導引を人間がより健康になるための行法として改良したのが埼玉デトックス道場の導引であり、
それを、わかりやすく指導し、これを普及している。

人の体の関節は、全部で三百六十五もある。
その関節は、骨と骨が組まれているのではなく、すべて筋肉によって組まれている。
そして、すべての関節は、筋肉が動くことにより、曲げることも、伸ばすこともできるのである。

筋肉は、血液が流れるから動く。だから、腰が痛いのも、関節が重いのも、それは絶対に骨ではない。すべて血液の流れと筋肉の関係からである。

人間の体の六五パーセントは筋肉である。体の大きい人も、小さい人も皆、全体の半分以上は筋肉でできている。この筋肉の中には血管が通っている。
この血管の長さは地球の周りを二周半するほど長く、ここに心臓から送り出される血液が、二十四秒間で体内をひとめぐりしている。

このように、人間は一人一人、誰もが精巧に創られている。

ではどうして、このように精巧に創られたのか。

ここでは、その人間の創られ方に基づき、埼玉デトックス道場の導引法について説明してみる

このは導引法とは、人間の体内の血液に酸素を送り、全身の細胞の新陳代謝をはかることができる。
これには『大自然の法則』によって定められた、正しい体の動かし方がある。

人間の体には、肝臓、心臓、腎臓をはじめとして、六臓六腑あり、各々の臓腑は、手や足の指と密接な関連を持っている。
そして、人間の体には、網の目のような気血の流れが大きく別けて十二通りあり、各臓器と関連した気血の流れによって、筋肉は動いている。また、その人の症状によって悪い所を良くする行もある。

例えば、男性にとって、最高の悩みであるインポテンツも、この気功導引によって解消できる。

なぜなら、人間は、呼吸することにより体内に酸素を取り入れ、そこに気血の流れがあることによって筋肉を活性化して生きているからである。

人間は、大自然の気。すなわち『天地人の気』によって生かされている。そして、人それぞれすべて呼吸が違う。

要するに「天の気」である空気の吐き方、吸い方には、その人の体の創られ方にあった呼吸の仕方がある。

埼玉デトックス道場の導引法は、人間が生きている絶対条件である空気。 これを呼吸法として第一に考えている。

まず最初に、体内にある邪気を吐き出し、『天の気』である酸素を、全細胞の隅々にくまなく取り入れ、全身の気血の流れにあわせた筋肉の屈伸とともに、正気を補うことができる。

要するに、一人一人誰もが持っている「気」の使い方を、決して無理なく、正しく、体得できるように創ってある。

人間は、三分間呼吸をしなければ死んでしまう。

しかし、現代人の呼吸は、どの人も非常に浅い。だから、花粉が飛ぶ時期になると、その自然界の変化について行けず、鼻づまりに悩んでいる人が大勢いる。

また一年中、アレルギー性鼻炎という人もいる。

この花粉症やアレルギー性と言われる鼻づまりの人が、治ったということは、あまり聞いたことがない。

実際には、その原因も治し方も解らないし、なかなか良くならない。

ただ、その時期の花粉だとかアレルギー性と
言うことで、治らないものだと納得し、鼻がつまらないように薬で押さえてしまう。

しかし決して、鼻そのものが悪いわけでもなく、別に原因がある。
人間の鼻は、肺という臓器と関連している。鼻は、呼吸をするために必要なものであり、
また、肺とは、呼吸する臓器である。
手の親指と、肘関節の内側の上の部分、そして胸の乳頭から指四本、上の所(中府穴)と肺がつながっている。これらの筋肉に流れているはずの気血が滞っているため、鼻づまりの人は、非常に呼吸が浅く、この部分の筋肉が痛いか、もしくは冷たくなっている。

また、目の下の四白と、手首の外関というツボに異常がある。

これらのツボのある経絡の気血の流れを考え、なぜこの場所に異常があるのかが解らなければ、決して治すことはできない。

そして、この鼻づまりの人は、目も疲れやすく、常に、足腰が重く、だるい。

この場合も、根本的に内臓下垂を治さなければならない。

だから絶対に、花粉症とか
アレルギーと言ったものではない。
すべて自分自身の体に問題があり、単なる気血の滞りである。

ところが、そのまま鼻だけを考えてしまうから、治すことができない。

要するに、肺と鼻を別々に考えては、アレルギー性鼻炎という鼻づまりも、花粉症も、絶対に治らないのである。

それは「生きるために必要な正しい知識」を誰もが解らず、
どうしてそこが悪くなったのか、その原因がわからないからである。

多くの人が、そういったことには気づかず、体に無理をさせるばかりである。

今後これは、教育によって人間の肉体が破壊されるという、大変な問題に変わって行く。

特に、運動をして体を鍛えるということは、今日、この凄まじい自然の変化について行けなくなった現代人の肉体にとって、非常に危険なことである。

例えば、野生の動物には重い病気がない。

ではどうして、人間にはこれほどまでにたくさんの病気があるのか。

野生の動物は、常に全身の筋肉を使い、常に自然のものを食べ、常に大自然とともに休み、常に自然の移り変わりに従って生きている。

霊長類である人間は、直立で立っているにも関わらず、自分達が造ったこの科学により、教育により、呼吸困難になるほど呼吸が浅く、それによってお腹の筋力も硬くなり
内臓を下垂させ、体形を崩し、普段あまり使われていない筋肉の血液の流れさえも、流れなくさせてしまっている。

その上人間は、今日、自分達の体を破壊した以上に、
この自然界をも破壊し続けているのである。

だから今、激しく変化する自然に、その肉体も、心も、その生き方も、絶対に追いおどろついて行けない。人間はこんな状態でいつまでも生きられるはずがない。

今日、これほどまでに医学が発達した世の中であっても、人間の体の血液の循環は、自然の動きと合わず、筋力が弱くなってしまったのである。
そのためにケガをしても、病気をしても、まったくと言うほど、その肉体には自然治癒力がない。

だからもし、奇病難病と言われるものに肉体が冒されたとしても、どう対処することもできずに、
驚き、怯え、陰にこもる。

そして、死と病の区別さえつかないのである。

例えば、人間は自分で使っている自動車や機械をいつも点検し、綺麗にすることを心掛け、使う時はその準備もする。

そして、故障した場所があれば、すぐにでもその修理をする。

だが、それ以上に、毎日使っている自分の体に対しては、ほとんど何もしない。

何かに追われて生きながら、ただ懸命に働き続け、日本は世界一の長寿国だと安心してきた。

それでいて重い病気やケガをすれば、それが突然の災難と思うのか、
「今までこんなことはなかった」などと言う。

今、人間は、自分の体に対し、心に対し、これほど無責任なのである。だからこそ人間は、この導引を行う必要がある。

タイトルとURLをコピーしました